【逆さま編】我が家の家紋

森本家の家紋は風変わりだ。紋帖にこそ掲載されるが、使用家が非常に少ない、希少紋である。

第一話 「割梅鉢」

割梅鉢
割梅鉢
梅鉢
梅鉢

我が家には「割梅鉢(わりうめばち)」という名の家紋が代々伝わってきている。 それは今も変わらず我が家の定紋であり、当社(染色補正森本)のシンボルマークとしても活躍してる。

割梅鉢という家紋は「梅鉢」という紋の中心部をひとつの紋としたもので梅鉢の変形の一つといえる。
本家から別家や分家と分かれる際、家紋の区別を必要とした時などに差別化を図ったのであろう。家紋変形バリエーションの名称で頭に「割」が付く場合のそのほとんどが「二つ割」の略である。しかしこの「割梅鉢」の場合は例外だ。(同じケースに曜「ほし」がある)

この割梅鉢は非常に珍しい家紋だ。
初めて見る者の多くは「上下逆では?」と思ってしまうのである。
右の写真を見比べて頂きたい。上が割梅鉢で下が梅鉢である。この写真を見比べると割梅鉢が「梅鉢の中心を拡大して一つの紋としている」事がよくお分かりになるであろう。

小さなブリキの小箱

私が我が家の家紋を意識し初めたのは幼い頃で、まだ父が今の仕事(染色補正業)ではなかった頃だった。
いつも部屋の隅に黒い小さなブリキの小箱があり、その蓋には父の手描きによる割梅鉢の家紋があった。
しかし私はその金色の家紋を逆さまに見ていたのだった。何故ならば私が見ていた逆さまの方がその家紋自体に安定感がありむしろ自然に見えたのだ。
そう思っていた自分の認識が間違いだと言うことが分かるとその不安定なデザインに酷く落胆し、子供であった私はがっかりしたものである。
そのうち家紋変形パターンの意味が分かり、身内の集まりなどで紋付を見慣れてくる事によって不自然さを感じなくなってきた。

父と今の工房を築いた時、初めてかけた我が家の家紋が付いたのれんに、圧倒的な威圧感の様なものを強烈に感じたのである。
そしてそれはこの堂々たる家紋を好きになった瞬間でもあった。

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第二話 「逆さまの謎」

祖父の葬式の写真
祖父の葬式の写真

ある日、古いアルバムを見ていた時の事だ。
先祖の葬式の写真に写っている幕の家紋が逆さまだという事に気づいた。私が幼い頃に間違って認識して見ていた状態と同じだったのだ。

下記の写真は祖父の葬式で先祖の葬式の写真ではないが、この写真も間違っている事が最近分かった。
そしてそのような出来事があったことも忘れた頃、祖母が亡くなり、その時に建てた墓に付く家紋がまたもや逆さまだったのである。 流石にこの時に気づいた私は墓石の表面を削らせ正しい我が家の家紋に直させたのだった。
しかし何故、こうも間違って上下逆になるのであろう。その答えがこの時は分からずにいたのであった・・・。

1978年5月 春。この謎の究明に一歩前進する出来事が起こったのである。

櫃(ひつ)

一歳の春を迎えようとする長男の為に兜を買って祝うこととなり、その兜を入れる櫃(ひつ)に我が家の「割梅鉢」を施して貰うように注文をした。
過去の家紋逆さまエピソードを注文先に話し「上下を間違えないように」と念を押し指示した。
しかし、出来上がってきたその櫃を見ると、あれだけ念を押していたにも関わらず、その業者は家紋を逆に付けてしまっていたのだ。しかしながらこの業者は「紋帖通りに付けただけで自分は間違ってはいない」と言い張ったのだ。
結局、私はもう一度業者に命じ直させたのであった。

その後、私は「何故、逆になってしまうのか?何故、違いがこんなにも多いのか?」という真意を確かめるため、調べてみる事にした。
その結果、驚くべき事実が明らかとなった。なんと「標準紋帖」には「割梅鉢」が逆さまに掲載されていたのだった。
この「標準紋帖」が伝承間違いなのかは定かではないが、確実にこれは違っているのだ。

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第三話 「真相」

それから20年後、いよいよこの真相を解き明かす時がやってきた。なんと葬儀関連業者の多くが「標準紋帖」を使っているという事が判明したのである。

ある日、この出版社に立ち寄ったことがあった。店頭に置いてあった「標準紋帖」を手にとって、年輩の社員に今までの経緯を話してみたのである。
するとその社員は「うちの紋帖だけが違っているはずは無いのだがなぁ」と「正しい家紋」という名のタイトルの紋帖を手に取り、「割梅鉢」を調べたのである。するとこの紋帖もまた逆なのである。「標準紋帖」と同様に違っている。
一瞬言葉がつまった。その本の出版社名を見ると、なんと同出版社のもので、どうやらその出版社のものだけが違っていたようなのである。
その場にあった「平安紋艦」を見せて比べさせ「こっちの方が正しいのですよ」と教えても無駄で、自社の出版物に違いは無い、そう信じて疑わない社員がそこにいるだけであった。
もう私は呆れるのみであった・・・

私は1965年からこの仕事についているが、これまでに一度も割梅鉢に関する依頼を受けた事がない。さらに我が家の家紋以外でも見た事がない。墓地に行っても私の所(分家)と本家の墓石の二つだけで、親族以外の他では今までに一度も見た事がないのである。
どういう訳か我が家には「菅原道真(すがわらのみちざね)」の描かれた掛け軸がある。大した代物ではないのだが古くから我が家に伝わってきているというだけの価値だけだ。
この菅原道真の家紋が梅鉢だという事は実に有名な話である。我が家の家紋も梅鉢の変形であるが、それ以上のルーツは今のところ定かではない。

祖父の黒紋付の割梅鉢
割梅鉢(軸付き)

紋帖には存在していないのだが、私の祖父の黒紋付の「割梅鉢(軸付き)」は少し違っている。(右画像)
中心の輪から外に向かって伸びている五本の軸が、周りに広がる五つの半円に繋がっているのだ。そして上絵の細い線と太い線の減り張りなど、紋帖や今の上絵にはない美しさがある。
当時の上絵師独特のセンスなのだ。私はこのデザインが非常に気に入っている。この繊細な紋はいつ見ても素晴らしい。

謎めいていて特殊な家紋とも言える割梅鉢。私にとって因縁の深い家紋だ。今の私があるのもひょっとすればこの家紋のおかげなのかも知れない。
独特のアンバランスさ。それでいて堂々たるその姿。私はそんな我が家の家紋が好きなのだ。


紋帖による紋の違い
p142より

割梅鉢
平安紋艦
紋典
紋の志をり
江戸紋章集

割梅鉢(間違い)
標準紋帖

「我が家の定紋である」
「定紋として使っている家系を知っている」
「紋帖以外で(例えば墓石など)見たことがある」
など「割梅鉢」の情報をお持ちの方がおられたらご一報下さい。

【2014年追記】2013年にこのような情報を頂けた。(下記アドレスをクリック)
http://japanbag.com/2013/06/1885
また、森本勇矢が京都市内のとある墓地で一件だけ割梅鉢を発見している。
詳細はこちら
『ブログ家紋を探る』
「割梅鉢 墓参りを得て」
http://arkness.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

紋帖による紋の違い』でそれぞれの違いを確かめることが出来る。

紋帳による紋の違い』お問い合わせ先
染色工芸材料専門店 「株式会社 長谷川繪雅堂
〒604-8241 京都市中京区三条通西洞院東入
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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



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