加賀紋

現代では「お洒落紋」の総称となってしまっている「加賀紋」。
加賀紋の本来の意味とは? 加賀紋の本来の姿とは?

この頁に使用している画像の多くは『加賀のお国染 友禅と加賀紋』(花岡慎一:著 発行所:フジアート出版)より許可を頂いた上で引用しています。無断転載など行わないようお願い致します。

第一話 「加賀紋と呼ばれるもの」

皆様は「加賀紋」をご存じだろうか。
そして加賀紋という言葉にどのような事を想像されるのだろう。

加賀紋は一般的に「多彩に表されたお洒落紋」の総称とされている。
また「花紋」「華紋」「飾り紋」「伊達紋」なども類義語として扱われ存在している。
これら全ては同意語ではなく、それぞれに異なった意味がある。しかし現代では加賀紋を含めたこれら全てがお洒落紋として一括りにされてしまっているのである。
それはそれぞれがどのようなものなのか、定義付ける事が極めて難しい為である。

では従来の加賀紋とはどういうものであったのか。まずは「加賀紋」と呼ばれるものについて解説していきたい。
資料はあまり残されていないが、発生から現在に至るまでの経緯をまとめ上げてみた。皆様方には本来の加賀紋とはどのようなものであったかを知って頂きたいと思う。
加賀紋は加賀友禅とほぼ同時期の江戸半ばに加賀(石川県)から発祥したものである。それは時代と共にその技法や姿を変え、今に至っている。現在では機械化に伴い、より様々な広がりを見せつつある。例えば彩色は手描き友禅技法から樹脂顔料によるプリント方式。刺繍は手縫いからミシンによる技法が増える傾向にある。
既製品の販売の場合、紋入れは後からの加工となるため、致し方ないことなのであろう。

では現在、加賀紋と呼ばれているものを大まかに分類してみよう。

  1. 家紋そのものを多色に彩色。
  2. 家紋そのものを多色に刺繍。
  3. 草花などの文様を多色に彩色。
  4. 草花などの文様を多色に刺繍。
  5. 草花などの文様を多色に彩色、中心部に白抜き家紋。
  6. 草花などの文様を多色に刺繍、中心部にも刺繍家紋。

大まかであるが上記のように6種類に分けられる。その全てが細やかな点で違っているということはお分かりになるであろう。

上記1、2、5、6のように家紋が施されたものは加賀紋と呼ばれているモノの特色である。そして技法こそは違うが、5のように華やかに彩られた文様に、彩色しない家紋を配したものこそ他のお洒落紋には類を見ない加賀紋のもっともたる形なのである。

では、かつての加賀紋とはどういうものであったのかを順を追って説明していくことにする。

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第二話 「家紋の発展」

丸に右分かれ立葵紋鶴亀松竹梅模様
丸に右分かれ立葵紋鶴亀松竹梅模様
加賀紋の系譜より引用

加賀紋とはいつ頃から現れたものなのか、またどのようなものであったのかを話していこう。

加賀紋の原型らしき飾り紋は承応元年(1652)の産衣にその姿を見せる。しかし定紋の周りの文様は多彩な友禅ではなく銀箔であったという。また江戸中期までのものと思われる男児の裃に、これと同じ文様でと白上げ墨入れで残されている。
また加賀紋の名称として最も古い記録では貞享4年(1687)、加賀染と共にその名が記されている。しかし形としては定かではない。

江戸の貞享、元禄は最も家紋の華やいだ時代である。庶民までもが家紋の真似事をし始めたため、家紋制度が乱れた時代でもあったのだ。ところが庶民は紋章を装飾目的としたため、様々な優れたデザインの発達に繋がったのである。
その頃流行の飾り紋は「ちらし紋」「よせ紋」「だて紋」と呼ばれ、加賀紋も「加賀よせ紋」と称し、2~3種類の文様を組み合わせたものが特徴であった。それは当時の雛形に残されている。
元禄13年(1700)『常盤ひいなかた』に「加賀よせ紋つくし」が紹介され、また廷享年間(1745)頃の『風流替紋づくし』に「加賀染風流紋」が紹介されている。これは『常盤ひいなかた』を真似たらしく、やはり内容は似通ったものである。

常盤ひいなかた 「加賀よせ紋つくし」

常盤ひいなかた 「加賀よせ紋つくし」

『常盤ひいなかた』 加賀よせ紋つくし

風流替紋づくし 「加賀染風流紋」

風流替紋づくし 「加賀染風流紋」

『風流替紋づくし』 加賀染風流紋

当時の加賀紋の見本帖とはこのようなものであり、雛形を見ている限りでは伊達紋との大きな違いは見いだせない。しかし、『加賀染風流紋』の冒頭には「此の紋は根本色絵紋所なり、此かき紋青黄赤白黒に染分るなり」とあり、これは友禅加工を意味している。つまり、伊達紋が元来刺繍紋であったことに対して、加賀紋は友禅技法であったということを示しているのだ。

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第三話 「加賀紋の特徴」

冒頭でご紹介した加賀紋の第一の特色である「華やかな文様と彩色しない家紋を配した」ものとはいつ頃から作られたものであろうか。
江戸後期の『守貞漫稿』に記されていることを整理したものが『国立歴史民族博物館研究報告、加賀紋の系譜』に掲載されているので次ぎに引用してみる。

  • 大きさは一寸二~三分(約50ミリ)位。
  • 五ッ紋で家紋のまわりに配する模様は友禅されているが家紋は友禅しない。色は青黄赤白黒に染め分ける。
  • 模様は立田川に楓、雪月花、松竹梅等風流で「加賀よせ紋」の流れをはずれず、小さな文様で構成されている。
  • 生地は加賀絹、地色は加賀憲法染(黒色)が多い。
  • 大変洒落ているが、家紋も模様も小さく目立たなくなって品位があり加賀の人の気性にあっている為に智紋と迄いわれ従ってこれを着することを恥じなかった。

『国立歴史民族博物館研究報告、加賀紋の系譜、花岡慎一』より引用

以上のことからもお分かり頂けたと思うが、現在加賀紋と称されているものの中に、果たしてこのような本筋のものが見られるであろうか。
また、一つの家紋に彩色されたものもわずかに存在したというが文化・文政(1804~29)の頃には既に廃れていたという。

ではここで加賀紋と伊達紋の違いについて触れておこう。
最も古い伊達紋の雛形は貞享五年(1688)に見られる。しかし当初は小さいものであった。伊達紋は加賀紋と共に元禄十三年(1700)年頃から相当流行りだしたとされている。
この頃までのひな形を見ているかぎりでは両者共大きな違いは見いだせない。
ところが宝永元年(1704)の『丹前ひいながた』から伊達紋が急に大きく派手になるのである。それは背中一面というものでほとんど文様に近く、つまり帯を境に上下に異なった文様が配されたというものである。
宝暦年間(1754)に入ると伊達紋も小さくなり、禁令の世相に合わせ文様も派手さがなくなり小さくなる。そして幕末には家紋のついた裾模様へと現代の着物に近づいてくるのである。

加賀紋と伊達紋の違いをまとめてみよう。
伊達紋は元来、刺繍でつくられ、俳優、侠客、粋好みの人々の好まれた。
加賀紋は、友禅染めであり、加賀の上級武士、家柄町人、風流人に好まれた。ということになる。

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第四話 「見本図案と紙型」

加賀紋の遺産は元々少ない上に不幸にして火災で焼失もしたという。皆様方には数少ない中から貴重な本物の加賀紋を見て頂こう。以下は江戸後期から明治初期にかけての資料や作品である。

松の内
四君子の丸
松の内
松の内

中心の円の中には定紋が入る。

椿の丸
上巳節句
椿の丸
四季平花宝船
椿の丸
槌車
椿の丸
椿の丸
加賀紋見本帳より抜粋

上記画像は加賀紋の見本図案。上段の2つは中心に定紋が入っているもので、下段の4つは定紋は入らず絵だけのもの。これらは友禅染めではなく、全て素描によるものである。
墨の線は友禅染めの特色である糸目糊を置くためのラインであり、染め上がりは美しい生地白の線上げになる。
注: 「糸目糊」
模様場を彩色する時、染料が周りにはみ出したり混ざり合ったりしないように防染の役割をする。筒の先からノリを細く、糸のように出して下絵の上をなぞりがら生地の上に置くように描いていく。

加賀紋制作のための伏せ糊用型紙。

石竹紋つつじ模様
「石竹紋つつじ模様」 40ミリ
桔梗紋竹松竹梅模様
「桔梗紋竹松竹梅模様」 37ミリ
六ッ石に桜紋夫婦紙雛に桔梗
「六ッ石に桜紋夫婦紙雛に桔梗」
縦40ミリ、横50ミリ
七宝くずし紋鶴亀松竹梅模様
「七宝くずし紋鶴亀松竹梅模様 」
縦52ミリ、横55ミリ
『国立歴史民族博物館研究報告 加賀紋の系譜』

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第五話 「加賀紋の作品」

では実際の着物などに施された加賀紋をご覧頂こう。

三ツ柏 折枝に笹文様加賀紋
三ツ柏
折枝に笹文様加賀紋
唐花 菊に色紙硯筆文様加賀紋
唐花
菊に色紙硯筆文様加賀紋
加賀小紋に染め上げた加賀紋
丸に剣花菱 松竹梅文様加賀紋
丸に剣花菱
松竹梅文様加賀紋
祇園守 桜折文様加賀紋
祇園守
桜折文様加賀紋
梅染めの黒無地に染め上げた加賀紋

このように彩色しない家紋と友禅文様を配したものが、他の洒落紋にない加賀紋独自の特徴といえよう。これらは加賀絹に梅染めの黒無地や加賀小紋に施したものなのである。
そして当時は、決して大きくないということのも加賀紋の特色であった。

また幕末頃には金糸で施された加賀紋の記録もある。
加賀藩士の上流階級では女子が七歳になると、十一月吉日を選び「打ち掛け着はじめ」と称して初めて打ち掛けを着用する祝儀が行われた。
妻の礼装には地黒や地赤の打ち掛けを用い、その打ち掛けには金糸で五つ紋があしらわれていた。そしてその意匠が明治以降には婚礼用として一般にも普及することとなる。

三ツ柏 折枝に笹文様加賀紋
蔦紋松竹梅模様繍加賀紋

唐花 菊に色紙硯筆文様加賀紋
松竹梅模様繍加賀紋

丸に剣花菱 松竹梅文様加賀紋
梅に鶯模様繍加賀紋

しかし、このような加賀紋を含めた多くの洒落紋が陰を潜めはじめた。
それは明治期になり西洋文化が入って来たことにより洋服が取り入れられたことにあった。
洋服は上流階級から浸透していき、着物はフォーマル化の道を辿ることになる。儀式着物、格式の高いものへと向かって行ったため、お洒落紋はどんどん除外されていった。
その後大正に入った頃には加賀紋は突然、着物や羽織からはすっかり姿を消してしまったのである。

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第六話 「その後の加賀紋」

加賀紋はその後、のれん、袱紗、座布団、夜着などに施され、昭和初期まで使用されたが、その後は全く空白の時代が続くのである。

三ツ柏 折枝に笹文様加賀紋

江戸紫羽二重地菊梅模様木瓜加賀紋付梅に
光琳水鴛鴦模様内のれん

唐花 菊に色紙硯筆文様加賀紋

雪輪に横木瓜紋熨斗取方万寿菊に
波模様加賀紋

丸に剣花菱 松竹梅文様加賀紋

黄丹色縮緬地雪輪檜扇紋梅花模様加賀紋重座布団

丸に剣花菱 松竹梅文様加賀紋

変り四菱紋梅模様加賀紋松竹梅模様夜着

『国立歴史民族博物館研究報告、加賀紋の系譜』より

四つ菱 唐草
四つ菱 唐草
加賀小紋にあしらったもの

椿 文様押絵紋
椿 文様押絵紋
背守としての押絵紋

余談ではあるが、加賀で生まれたこんなユニークな紋がある。

それは「変わり輪紋」と称し、女性の着物に付けたもので定紋の周りに少し大きめの「唐草輪・雪輪・梅輪・松葉輪」などをあしらい、中の定紋を優しく見せたり小さく見せた。
それは男に一歩譲るという日本独特の女性の奥ゆかしさを表したものであり、藩末期から明治初期にかけて登場して昭和10年頃まで使われていた。
加賀紋とこそ称さなかったが加賀紋の流れは十分に感じられる。

その他に母親が手作りで子供の普段着の背中に一つだけ付けた押絵紋というものがある。
着物の背縫いは魔よけの意味があるといわれていた。
ところが子供用の一つ身には背縫いがなく、そこで背守りとして子供の安全や幸せを願ったのがこの押し絵紋。
まさに母親の愛情そのものなのである。

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第七話 「素晴らしい友禅紋」

時の流れ行く中、加賀紋という名称は復活した。
しかし本来のものとは違ったり、名称分類が曖昧なため伝達という点で「加賀紋」は、色々と混乱を招いているようである。
それでも決まり事だけの家紋から離れ、お洒落に演出していくというのは非常に喜ばしく、この遊び心が明日の着物への発展に繋がればと願っている。

丸枝笹 軍配に桃文様加賀紋
丸枝笹
軍配に桃文様加賀紋

梅柳文小袖
梅柳文小袖

モノトーンの無地感覚のものへアクセント的に施した加賀紋。

加賀で生まれた素晴らしい友禅紋。今一度本来の友禅紋の素晴らしさをご覧頂きたい。
上記は江戸末期の小袖である。モノトーンの無地感覚のものにアクセント的に配した加賀紋。
あえて見せない裾模様。見せ場を欲張らないから加賀紋が生きてくるのである。
そして定紋を模様で包み込んでしまうという、この見事な組み合わせはまさに加賀の人々の感性なのだ。
先ほどもご紹介したその他のユニークなアイデアなどにも、今日、私たちが無くしてしまっている何か大切なものを思い出させて頂いたような気がする。

これを機に家紋を大切にしながら「あそび心」も決して忘れることが無い、そんな心意気を持った当時の加賀の人々の思いや願い、そしてその美しさに今一度、皆様にも触れて頂ければ幸いである。
きっとあなたにとって大切な何かが心に残るはずだ。

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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



大宮華紋森本


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