【逆さま編】筏(いかだ)

筏紋は不思議だ。まるで上下逆のようである。
筏紋は非常にレアな紋である。森本勇矢の京都市内での墓調査では唯一一件だけ花筏紋を発見している。

第一話 「何故、上下逆?」

丸に筏
丸に筏
花筏
花筏

物が逆さまであろうが歪んでいようが全く気にならない者もいれば、私のようにどうも落ち着かないと思う者もいる。
例えば給料袋から取り出した札が上下揃っていなかったら嫌であるとかそういう事だ。
とは言え何もかもが潔癖というわけでもない。そうでなければ神経が持つわけがない。

さて、今回も私を悩ませたり楽しませたりしている問題は「筏(いかだ)紋」である。
現在売られている紋帖で筏紋を調べてみると「花筏」と「丸に筏」の二種類がある事が分かる。しかしそのいずれもの筏の絵が上下逆なのである。

以前から度々この家紋を大宮華紋制作してきた。
紋帖の筏紋を元のサイズよりも大きく、しかも彩色して洒落紋にしようというのだ。それ故、インパクトが強い家紋であったが為に私の中に大きな印象を与え続けた。この逆さまの一件も気づいてから回を重ねるごとに「何故?」という思いが日に日に強くなってきたのだ。

本来、筏は丸太を縄で縛り繋ぎ合わせたもの。
下記画像の洒落紋では竹のように描かれているが、これは見ての通りまともな方向である。
しかし現在の紋帖にあるものは丸太や上記図のようなものではない。角に切った板であるがそれでも縛る為の縄を絵に描くならばそのラインは山形になるはずだ。
ところが紋帖上でのその形状はそれとは逆の谷形なのだ。
絵画的(遠近法)に見ればやはりこれは不自然。さらに花筏に描かれている花は何故か全てまともな方向なのでますます不思議である。筏だけが異質なのだ。

友人の染色作家による作品
友人の染色作家による作品
洒落紋の下絵。
絵画的に筏が水に浮かぶ様を描いたもの。
筏紋のような不自然さはなく、実に美しい。

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第二話 「そして謎は深まる」

丸に筏(紋典)
丸に筏(紋典)
丸に筏
丸に筏
(平安、志をり、標準)
『紋帖による紋の違い』
より引用

色々紋帖を調べてみると一つだけまともなものが見つかった。それは「紋典」に収録されている「丸に筏」である。
やっと見つけた。これで疑問が解けるきっかけになるかも知れない。
しかし安堵したのもつかの間であった。
もう一度よく見てみると、他の紋帖の「丸に筏」をそのまま上下を逆にしたものだったのだ。同ページの「花筏」もやはり逆。これは間違いに気付き、描き直したのではなく単純に上下逆に収録しただけにしか思えない。
紋典の出版から4年後の昭和11年に「平安紋鑑」が出版されたが、やはり明治の紋帖通り筏が逆さまに収録されている。
この謎を究明する価値は十分にあるはず。私はそう確信した。

そしていても立ってもいられず、早速友人の上絵師に尋ねてみる事にした。
「我々は紋帖をそのまま描き写すのが仕事。それ以上の疑問をもつのはご法度なのだ」
その上絵師の答えはこうだった。

続いて紋章組合に尋ねてみる事にした。
「この筏が逆さまだとは気付かなかった。絵として見た場合・・・なるほど不自然だ。答えは改めて出すから少し時間が欲しい」
思ったより好感触である。これは期待が出来そうだ。そして2週間ほど経ってようやく答えが返ってきた。
「今更間違いだとは言えない。組合内で相談した結果、お客様からの依頼の際には紋帖通り逆さま描くのか、あくまでも絵として正しく描き直すのかを問うことにした」
というなんとも言えない返事。私にしてみれば期待していただけに納得のいかない答えだ。当然私がほしい答えではない。

気を取り直して友人の日本画家に意見を求めた。また違った意見が貰えるであろう。
「確かにこれは絵としては不自然だ、しかしこれは家紋である為、我々絵師はこの世界には踏み込めない」
と、ノーコメント。

そして幾人かの着物製作者にも同様に意見を求めたが、彼らの共通する意見は 「確かに面白い話だが、私にはわからない」 であった。
この問題で私を疲れさせるのは、呉服関連の専門家でもこの絵が上下逆だと分かるまでに、時間にかかる人が意外と多いという事だった。
若い頃に洋画のデッサンに取り組んでいた私にとって、古い日本画や文様は異質な世界であるだけに、新たな魅力や憧れ、そして謎多きものなのである。故に自分の納得がいく答えが欲しい。

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第三話 「日本家紋総監」

古典の日本画や文様。そのデザイン力は世界にも誇れるもの。写実から如何に崩していくか、そしてどのように創作していくか。

日本家紋総鑑より 日本家紋総鑑より
日本家紋総鑑より 日本家紋総鑑より
この書のほとんどが墓石からデーターを集めたもの。
ここでは筏が丸太で表されたのが存在する。
紋帖にはない珍しいものだ。
しかしご覧のように丸太の断面が上の位置にある。
逆さまというのは一目瞭然である。
『日本家紋総鑑』より引用

今回の筏紋は上下逆にする事により別の効果を狙ったものなのか?
確かにまともに描くよりこの方が急流を下るような激しい動きが出ていて面白い。少なくとも私はそう感じる。
そして私はそのような答えが欲しくて、京都の有名な古典文様研究家の先生に電話とファックスで尋ねてみる事にした。しかし答えは返ってこなかった。無念である。
続いて博物館へ電話をしたが「こちらでは分からないので図書館へ行って下さい」という素っ気ない返事。仕方なく図書館へ足を運んだが、やはりというか大したことは分らなかった。
私の持つ疑問は出口の無いラビリンスに足を踏み込んでしまったとでもいうのであろうか・・・

ここでいよいよ、掲載数2万以上という膨大さを誇る、日本家紋総鑑を本棚から取り出してきた。ここに何か少しヒントでもあればよいのだが。

結局、日本家紋総鑑からは何らヒントは得られなかった。これで駄目だったら諦めよう。そんな思いで家紋研究第一任者のとある先生に電話をした。
筏の紋が逆さまだとは私も今まで気が付かなかった。この家紋は○○藩の○○家の紋。恐らく藩に届けた時の最初の木版が間違っていたのではないのか?こういう例は少なくはない。しかしこれは正していかなければならない
私としては間違いの一言で済まして欲しくは無い。現に何百年も受け継がれてきたのだから、今の時代の感覚には無いその時代特有の何かが絶対にあるはず。それが知りたい。そして納得したい。

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第四話 「文様」

家紋図鑑の筏紋
縄の縛り方がどちらとも言えない
外国人が監修したもの
縄が花で隠されている

まだまだ、諦めきれない。せめて何か掴めないものかと家紋に関する本を一通り探してみた。
あらゆる家紋図鑑を見たが絵はやはり上下逆であった。一つだけ90度右に回転したものがあったが、これは完全に構成の間違いだと思われる。

手持ちの資料の中で一つ面白いものが見つかった。それは明治時代の一人の上絵師の作品を外国人が監修したものだった。
その絵というのは上絵師が上下間違いに気付き、自分はどのように描けばいいのか、といかにも迷っているかのようにも見えるのだ。そのどっち付かずの絵には、思わず微笑んでしまいそうで、私は妙な親しみを感じ、もし同時代の人間であれば是非お逢いしたいと思った。

家紋を調べれば調べる程、堂々巡りになってきた。この辺りで視点を変えなければならない。 このままでは何も前進しない上に混乱してくる。
そして最後の望みを託し、私は筏が家紋になる元になった文様を探ってみる事にした。そこに何かがある気がする。もはや、家紋だけで済むような問題では無くなったのである。

文様を探してみると意外な事が分かってきた。
何と三点の内に一点は家紋同様に上下逆が存在していたのだ。しかもかなり高い確率で見つけることが出来た。しかしその同じ空間に描かれている山桜や青海波はすべてまともな向きなのだ。
ここでも逆方向で存在するのは筏だけだった。
「何故、筏だけが・・・。」
しかしながら、ますますこの謎に悩まされる自分と、同時に何故か楽しくなってきた自分がいたのである。

高台寺
花筏で最も代表されるのが桃山時代の京都・高台寺にある霊屋須弥壇である。
階段の側面に描かれた花筏。
上の段と下の段がまともな方向で、中央の段の筏が全て逆方向である。
「高台寺」(高台寺より許可を得ております。無断転載はご遠慮下さい)

きもの心
この作品では筏の全てが逆方向。『きもの心』より引用

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第五話 「染色作家の意見」

八ツ槌車
図1:「八ツ槌車」
槌が八つ共同じ方向で描かれている。

謎がさらに深まり友人の染色作家に意見を求める事にした。色々と資料を見せて貰いながら話を聞かせて貰うことが出来た。
「昔の文様は透視図や遠近法を無視した変なものが多い。水車の文様などもつじつまが合わないのが殆どだ。以前自分がこの文様を依頼され制作した時に不自然な形を正しく描き直したが、かえって直した方が変だった。結局見本通りに戻してしまう事になった。古い日本画や文様は理屈では片づけられない事がある。不思議なものだ」
大変面白い話であり、また興味深い話であった。しかし当時の日本人は透視図や遠近法を解っていたのか否か、ますます謎は深まる。

下記の画像をじっくりと見ていただきたい。平面と立体が入り混じった異質で独特な画風に見える事が分かっていただけると思う。明らかに遠近法が無視されている画風だ。

水車(日本意匠)

水車(日本意匠)
図2、3は 絵画の水車も同じように描かれているのが多く目立つ。
これらが図案化された文様なら納得もいくが、
斜めに描かれている絵画でさえも柄杓(ひしゃく)が全て同じ角度でなのある。
画像:日本意匠(出版:京都書院)より引用

とある日、得意先での出来事。
社長の所有されている資料を見せて貰っている時、一瞬息を呑んだ。

それは大正時代製版の書物。恐らく江戸時代の木版を集めたものであろう。その本は着物の文様集であって1ページごとに着物の雛型に切り抜いた白い紙が貼り付けてあった。
その驚きの一枚とは言うまでも無く「筏文様」であった。筏はやはり逆さまではあったがそれは今までのような不自然さを全く感じさせないくらい美しい。

もうここまでくれば逆さまだとかそういう次元ではないようだ。この激しく力強い筏を花が優しく包んでいるかのようである。正に男女の愛を思わせるような素晴らしい作品なのだ。
古(いにしえ)の文様から伝わってくるこの感性。今までの事はどうでもよくなってきたのである。

作者・出版元不明
作者・出版元不明

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第六話 「視点の移動」

江戸時代の地図を見ていて面白いなと思った。
家屋を含めた建物の名称が道路に面した玄関側を正面として書いてあるのだ。
文字の書き出しが全て道路からの為、文字の方向は統一されず、横書きや上下逆で書かれている。つまり四方八方バラバラで現在の地図のように一方向に書かれていない。
壁に掛けるような見方をすれば読み辛いが、床や卓上に置いた状態で見る者が自由に移動したり、その地図を動かせば家屋の玄関の位置が一目でわかってしまうのである。
ここには家屋の向きをも伝えようする目的が見えるのだ。

江戸時代の地図

江戸時代の地図

『日本紋章大図鑑』より引用

昔の日本画や文様に、立てた円筒状のものの上部と下部のアールが異なって描かれたものがよくある。

これは描く者がその物の形をより伝えるために視点を上下に移動して描いたものだ。つまり上部は上から覗き込んで描き、下部はしゃがみ込んで描いたのであろう。
私は以前大宮華紋で貝桶を創作した時に、この画風を真似てみた事がある。

貝桶(大宮華紋)
貝桶(創作:大宮華紋)森本景一:作

古い文様の貝桶には上下に留まらず、左右にも移動しながら描いたようにも見受けられる。展開図までにはいかないにまでにしても、行き届いた説明である。
これらは日本人の「形を伝えようとする心」という、当時独特の感覚ではないだろうか?
私はそう思う。そしてそこに何か暖かさを感じるのだ。しかしながら絵画的に見ればやはり不思議な世界なのである。
いや、絵画的という表現は、現代絵画を見慣れてしまい、それが当たり前となったこの時代特有の片寄った見方なのかもしれない。遠近法や透視図が伝わるまでの日本ではこのような形が絵画の法則だったとすれば納得せざるを得ない。
第五話の水車の柄杓なども、それがいかにも決まり事のように、あの独特な画風でないとそれ自体が表現出来ないと考えていたのではないだろうか。

見たままを伝えるのではなく、その形をより分かりやすくするという、当時の日本の心意気ではないかと私は思いたい。

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第七話 「アンバランスな美しさ」

花筏(大宮華紋)

花筏(大宮華紋)
大宮華紋
森本景一:作

さて、話を花筏に戻す事にしよう。
筏の下部にあるべき丸太の断面が右上の場合、一説によると筏を右上から見下ろすという見方があるようだ。
絵を描く者が右上に移動しているのだ。それにも関わらずそこにある花は正面なのである。言い換えれば一つの画面に異次元が存在しているようなものだ。
これが正しければこれまでの、上下逆説は全面的に覆されてしまうのだ。
この画風は当時の日本人の物の伝え方であったのかも知れない。それらが日本画や文様の基盤となっていったとすれば面白い話である。

2枚の画像は冒頭でもお話させて頂いた大宮華紋の「花筏」の代表作である。いずれも背紋である。上が仕立て前のもので、下は仕立て上げたものだ。
私が疑問を抱くきっかけとなった大宮華紋だが、その美しさは色彩だけでなく、やはり「花筏」の持つそのデザインであろう。現実ではあり得ないデザインがよりいっそう「花筏」を美しく表現しているだ。

私以外の人達がこの「逆さま」に気づかなかったのは、そのアンバランスな美しさにあるのではないだろうか?
気づくまでに時間がかかるほど人を魅了する素晴らしいデザインではないだろうか?

結局、この「筏紋」の一件の真相は解明出来なかったが、私なりの独自の解釈で納得出来た部分があるので、様々な苦労もまんざらではないな、というのが正直なところだ。
当時の日本人がデザインについてどう考えていたかどうかは今となっては分からないが、何かを感じる部分が多いことは事実だ。
現代絵画の「当たり前」から外れたところにあった今回の「筏紋」の真相は、私が調べそして導き出した答えとは違うかも知れないが、それでも私は満足している。
歴史の中に数多くある「謎」は当時の人たちからしてみれば、それが当たり前の事だったのであろう。しかし時代が変わっても素晴らしいデザインはいつの世も人の心を掴むのだ。

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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



大宮華紋森本


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