家紋サイズ

家紋は複数のモチーフを組み合わせることによってその数を増やす。
モチーフの数が増えれば増えるほど、豪華なものとなるが、着物に入れるような小さいサイズの紋では・・・

第一話 「丸に井桁に竹に雀」

以前、お得意先の小売店からこのような紋入れの問い合わせがあった。
「『丸に井桁に竹に雀』という紋を探しているのですが、紋帖では見当たりません。どんな紋なのでしょうか?」
と言って来られたのである。

丸に井桁に切り竹笹に飛び雀
丸に井桁に切り竹笹に飛び雀

丸に井桁に切り竹笹に飛び雀(拡大図)

紋名は外から内側へと読んでいくのが通常だ。
この場合、丸の中に井桁があり、問題はその中の「竹と雀」である。
「竹に雀」は種類が多く、それぞれの紋帖には一部のものしか載っていない。注文の家の数だけありそうに思えるほど種類の数は不明。
ところが今回のケースでは、お客様も小売店も「竹に雀」と称するだけで、通じると思っていらっしゃるのだ。
私は以上のことを説明した上で「紋見本を見せて欲しい」とお願いした。

一週間後、紋見本の喪服が届いた。
私なりの解釈の紋名は「丸に井桁に切り竹笹に飛び雀」というところであろうか。やはり想像した通り、雀はかなり小さく、一辺が2mm位の三角形に見えた。
雀の向きや形もはっきり分からず、おおよその検討でお得意先に、
「この飛んでいる雀は形状からして左向きでしょう。ところが背を向けているのかお腹を見せているのか分からないので、お客様に照会して欲しいのですが」
と言い、2パターンの雀の絵を描いて渡した。

そして数日後「背を向けている方にして欲しい」と返答があった。
一週間後に紋が出来上がったのだが、私には絵が細かすぎて雀などは拡大鏡を使わないと肉眼では見えなかった。お得意先にも納品の際拡大鏡で見てもらった。
これは凄い!本当に雀がいる!
と感激のご様子。

また一週間後、お得意先が見えて
「お客様、虫眼鏡を覗いて凄く感激のご様子でしたよ。ありがとうございました。」
とご満足だった。

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第二話 「サイズの変動」

さて、着物に付く家紋とはそのような事までして見るものであろうか?
本来、家紋とは遠くからでもその判別が出来ないと意味がない。
ではどうしてなのだろうか?

そもそも平安時代に生まれた家紋が著しく発達した時代は戦乱時代とされている。したがって遠くからでも識別できなければならなかった。やがて世も落ち着いてくると、デザイン紋やまた家と家の結びつきを表した合成紋なども現れてきたのである。この合成紋は2種類以上の紋が組み合わさるため、デザインは複雑となってくる。
今回、例にあげたものも複数の家紋が重なり合ったためあのような結果となった。その上、依頼の無地の着物地は「絽(夏物で生地目が粗く透けている)」であったのでこれも上絵師を困らせてしまう結果となった。
しかしこの家紋が生まれた時代は今の着物に付けるサイズの5分5厘(21mm)ではなく、この2倍から3倍はあったのである。それならこのように複雑な合成紋が作られても納得がいく。

着物に付ける家紋のサイズは各時代によって変わってきた。
記録によると徳川将軍家の家紋がサイズ変動の目安になっていたという。それも景気の変動に左右されていたらしく、景気がいい時には大きくなり悪い時は小さくなった。つまり標準の1寸5分(57mm)が大きくなれば2寸(76mm)、小さくなれば1寸2分(45mm)と変動していた訳だ。
やがて江戸末期には男女とも1寸2分(45mm)であったが、明治に入った頃から異文化の影響が大きく着物の形状を変えて行ったため、特に女性に付けるものはどんどん小さくなった。今の男性1寸(38mm)、女性は5分5厘(21mm)は第二次世界大戦後の頃からである。
今回、問題となった家紋も現在のサイズであれば到底生まれていなかったのではないだろうか。しかし、小さくなり見え辛くなってもこの家紋を伝えて行くという心には頭が下がる。

最近、アンティークの着物を目にする機会がしばしばある。
明治・大正の女性の着物についている紋は7分(27mm)や8分(30mm)が普通で、江戸末期までの1寸2分(45mm)に比べればかなり小さいが、今日の私達が見慣れているものからすると、やはり大きく、そしてまた当時の模様と相成って実に美しい。しかし当時にしてみれば、小さくなりつつある家紋に控えめな女性らしさを感じていたのかも知れない。
美しさの秘密はまだ他にある。それは上絵である。
吹けば飛ぶ細い髪の毛のような繊細さ。その一部にアクセント的に入れてある太い部分。この両者のメリハリが見事なハーモニーとなっているのだ。今の着物では上絵の強弱の表現はほとんどされていない。それというのも今の家紋のサイズでは無理があり、それは致し方ないであろう。それに加え、その時々の流行や美的感覚の変化などもあるのかも知れない。

皆様も機会があれば、是非アンティークの家紋をご覧頂きたく思う。
かつての家紋を大切にしていた頃の人達と語り合えるのではないだろうか?

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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



大宮華紋森本


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