紋帖

家紋を語る上で欠かせない紋帖。
ここでは紋帖について深い考察している。

第一話 「紋帖の歴史」

みなさんは「紋帖」というものをご存じだろうか?
消費者の方々の多くは呉服売場や印染め関連などの家紋を注文するお店以外で目にする事は滅多にない。
中には持ってる方もおられるだろうが、それはもちろん極一部だ。一般書店での取り扱いがない為、一般の方が目にする事はほとんどないからだ。
家紋という日本文化が退行してしまっている現代社会では、紋帖という存在自体、酷く不透明である。しかし目的が変わろうとも家紋が存在する以上、我々呉服関連業者はもちろんのこと葬儀関連業者など、家紋に関わりを持つ多くの業者には必要不可欠なものだ。
まずは手始めに紋帖の歴史について語らせて頂こう。

様々な紋帖

紋帖の歴史は古く、500年も前となる。
当然ではあるが、それまでにも家紋の文化は存在していた。しかし紋の分類や整理は行われておらず、上絵師が自分の行った仕事の記録として残していく(ファイリング)のみで、多くの人の目に付くことは無かった。
寛正元年(1460年)、それら各上絵師が記録したものを一つにまとめようとする動きが出てくる。『見聞諸家紋』の誕生である。
そしてこれが紋帖の原形となったが、町人の目に触れることは無く、その多くは武人や名家、上絵師などの職人などしか見ることが出来なかった。
町人も見ることが可能となったのは江戸時代に入ってからの事。家紋のバリエーションなどが増え始めたのもこの頃である事から、当時にしてみれば画期的な事だったのであろう。
長屋住まいが主であった町人の多くは礼装(黒紋付き)の貸し借りが多くあったという。それが元で家の紋が何であるか曖昧になる事が多く、それが問題視されていた。
紋帖を作るという事はその打開策であったとも言える。しかしこの頃の紋帖は質が悪く、その多くは町人の絵師によって描かれたものが多かった。まだまだ曖昧な家紋のカタログ程度でしかなかったようだ。
現代のように美しくまとまった紋帖の登場は意外と遅く、なんと明治に入ってからなのである。
明治36年(1903年)、京都の上絵師達が作った『紋かがみ』が発刊された。この紋帖の出現により、今までの紋名の不統一や形の乱れがほぼ統一され、爆発的に普及する事となった。それは紋帖の明治維新とも呼べる革命的な出来事でもあったのだ。

しかしこの『紋かがみ』も時代の流れにより、現在は絶版となっている。
だが、現在の紋帖の姿は全て多かれ少なかれ『紋かがみ』がベースとなっているのだ。

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第二話 「紋帖とは」

家紋は日本の各地で生まれてきた為、形や名称が違っているのは、ある意味必然な事なのであろう。
それらをまとめようとする紋帖でさえも違いが生じる。
しかしそう言った現実に対し、
何とか一つのものに統一出来ないものなのか
混乱を避けるために誰しもがそう願うのではないかと思う。

京都市では紋章組合がその努力を平安紋鑑に委託している。今でも改善を続けているのは「平安紋鑑」だけである。それはもちろんより分かりやすく、使いやすくする為だ。
ところが、内容が変わり続けるために起こる問題があるのだ。
内容が一部改正する度、新しいものに買い替えるのは現実問題として難しく、照会の際「何版」と明記しなければならない問題もあるのである。

また、せっかく慣れ親しんで来たものが新しく変わるという抵抗に「旧かな使い」と「いろは順」がある。
今の人達はもちろんの事、私がこの職業についた時(1965年:昭和)にもどうして「いろは順」なのかと疑問に思ったものだ。

紋帖

そんな紋帖の中に少し風変わりなものがある。それは『紋典』である。
『紋かがみ』を基礎として大幅な増補を行い、昭和7年に発刊された。そして昭和29年の改版時には「いろは順」から「五十紋別」に改めた。
さらに間違いを少なくする為、紋名に通し番号を採用し、全てに読み仮名を付けた。そして紋名や文字なども改正され、それらの行き届いた説明文も掲載するという、紋帖にしてみれば画期的で洗練されたものだ。

すでに少し触れているが、今まで時代の流れと共にあらゆる紋帖が作られてきた。そして今も尚、出版されている紋帖は『平安紋鑑』『紋典』『紋の志をり』『標準紋帖』の4点だ。
紋帖というものは今まで生まれて来た膨大な数の極一部の代表的なものしか紹介していない。当然、紋帖に掲載されていない家紋の方が圧倒的に多い。
だから「何故、紋帖に載っていない?」という考えや疑問は捨てて頂きたい。

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第三話 「それぞれの持ち味」

江戸紋章集(絶版)と紋づくし(絶版)
『江戸紋章集』と『紋づくし』(絶版)

紋帖を色々見ているとその時代時代の美的感覚が見え隠れする。

『平安紋鑑』は昭和の感覚で洗練された形とそのライン、上絵に関しては初版のもの(石版による印刷)が最高である。現行版も受け継がれてはいるが今ではその美しさはない。
初版のものに見逃してはならないページが最後にある。それはカラー刷りで「摺り込み紋、藍鏡、加賀紋」などが紹介されているのだ。
この加賀紋は恐らく京都が独自で作ったものだと思われる。確かに美しいが本来の加賀紋ではない。(詳しくは加賀紋ページ参照)

紋帖を見ていると絵の「綺麗」と「良い」はまた別物だと改めて思ってしまう。「良い」とは「味わい」と言い換えられるかも知れない。
味わいとなるとやはり古い紋帖だろう。明治の版を使った紋帖には上絵も文字も筆の跡が見られ、人の温もりや筆で描いた毛筆の味わいがある。
余談ではあるが、私の手元には現行版の4冊以外に『江戸紋章集(絶版)』と『紋づくし(絶版)』があるが、中でも私自身が好きな紋帖は「紋づくし」という事を付け加えておく。

もっと遡るとまだ製図の技術が発達していない頃のものに巡り会う。それは素描き(線のみ)のもの。何の気取もなく大らかで、本当に心が和んでしまう。
現代の「綺麗」なだけの印刷では出し得ない暖かみが、私をまた古い紋帖に手を延ばさせるのである。

明治の紋帖の素描き集
明治の紋帖の素描き集

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第四話 「紋帖による紋の違い1」

花菱
花菱
花角
花角
剣花角
剣花角

すでに申し上げたように現在、我々を含めた家紋業者が現場で使っている紋帖は数種類以上も存在している。
家紋は紋帖によって「紋名が同じでも形が違うもの」や「形が同じでも紋名が違うもの」があり、それもかなりの量を数える。
それは時代によって家紋の捉え方の違いや、また紋帖を制作してきた人達による考え方の違いからであろう。
それ故に「なんとか一つのもの(一つの紋帖)に統一出来ないのか」という声もよく耳にする。
私もその統一を願って来た一人だ。
しかし各地で生まれた家紋をここまでこのような約束事として形にまとめて来たこと自体に最近では感心してしまう。

多くの呉服関連業者の使っている紋帖は『平安紋鑑』である。続いては『紋典』であろう。
現在ではこれらを含む数冊が販売されている。また既に絶版となっている紋帖も数種存在している。
これらの紋帖は明治から昭和の初期にかけて出版されたものであり、『平安紋鑑』と『紋典』以外は初版のまま今も変わっていない。
紋帖にはそれぞれの個性があり、このようにそれぞれ違いのある紋帖が存在する以上、当然伝達の際、間違いを起こす危険性を十分に秘めている訳である。
ところが紋入れを依頼するお客様の方は当然の如く、このような事をご存じでない。

では当社で起こった、紋帖の違いによる問題の一つをご紹介しよう。

以前、お得意先から紋入れの依頼があり、
四方剣花菱を紋帖で探しても見つからないのですが・・・
という質問を受けた。
紋の名称は時代と共に変わって来たものも少なくない。今回依頼の「四方剣花菱」は平安紋鑑と紋典では「剣花角」と称している。
まずはこの紋について説明しよう。
この家紋の剣は後から付け足されたと考えられるため、剣を取った「花菱」で話を進める。
花を菱に型取ったものを「花菱」と言い、これを四方均等にしたものを明治までは「四方花菱」と称していた。ところが昭和に入り、上記の2冊の紋帖はこの「四方」と「菱」の矛盾点を改め「花角」とした。「剣花角」とはこの「花角」に「剣」を添えたものなのである。
今回の依頼者は改正前の名称を使用した紋帖でご注文されたということだった。

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第五話 「紋帖による紋の違い2」

紋帖の違いによって起こる間違いは以前から多々問題にされてきた。
また責任の所在も難しいのである。結局は我々家紋業者が気を付けなければならず、危険なモノについてはその都度お客様に照会を願わねばならない。
また私は間違いを避けるためにお客様へのお願いとして、ご注文の際には正確な紋名と共に紋帖名の指定、または紋見本を添える事をお奨めしている。紋見本はもちろんプロの家紋上絵師のものでないといけないのは言うまでもない。

当社でも間違いを避けるために今まで7冊の紋帖を見比べていたが、現在では一冊で事足りるようになった。
平成9年5月に『紋帖による紋の違い』という本が京都紋章糊置協同組合により発行されたのである。
内容は平安紋鑑・紋典・紋のしをり・標準紋帖・江戸紋章集の5冊に基づき小さな違いも分かりやすく事細かく丁寧に説明されている。
300ページ以上にも渡って大変な数が掲載されており、思っていた以上の「違い」の数に驚かされたが、この一冊のおかげで救われたのである。

では「違い」とはどういう事であるのか?
「考え方や解釈の違い」「伝承の間違い」など。
家紋も日本の各地で生まれてきたため、形や名称の違いは方言同様致し方ないのである。
そしてほとんどの紋帖は困ったことに初版のままで現在も変わっていない。しかし平安紋鑑に限ってはことあるごとに訂正してはいるが、発行された年度によっての違いが生じるため、また別の問題が持ち上がってくる。
さらに紛らわしくなってくるのが上絵師のセンスによる違いだ。これを違いと取るべきかどうかは見る人の解釈によっても変わってくる。
これらの違いは紋帖それぞれの持ち味として、皆様方がご理解し受け止めて頂ければ幸いであるが、混乱を招く要因になるのは間違いないのである。

『紋帖による紋の違い』は一見される価値がある。
あまりにもの数に煩わしいと感じるか?それとも楽しさを発見できるか?
それは実際にあなた自身の目で確かめて貰いたい。私は強くお奨めし、また活用している。

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第六話 「上絵師の感性の結晶」

ここまで読んで下ったみなさんは紋帖に少しでも興味を抱かれたであろうか?
是非、購入しバイブルにして頂ければ幸いではあるが、そういう訳にもいかないであろう。
最後に紋帖の中身はどういったものなのかをご覧頂こう。今回は「紋づくし」を使用させて頂いた。

「紋づくし」桐のページ
「紋づくし」桐のページ

家紋に興味を抱く消費者の方々がご覧になる時、多くの方は家紋図鑑をご覧になるだろう。
紋帖は右画像のようにびっしりと家紋が並んでいる。辞典のような説明書きは一切記してはいない。全てにおいて簡略化され目的にのみ存在するのである。それ故に美しいのだ。
今回ここまで読んで下さって、もし紋帖にご興味を抱かれたのなら、是非購入してみてはいかがだろうか?圧倒的なその数と感動があなたを虜(とりこ)にさせるであろう。

紋帖、それは多くの上絵師達の感性の結晶である。
家という重みを小さな円の中に凝縮した家紋。そこには日本文化の縮図や先人達のメッセージが現代の疲れ切った私たちに何か大切なものを思い出させてくれる、私にはそう感じる。
そしてそこには今の日本人が失った何かがあるのかも知れない。

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紋帖の問い合わせ先

下記の「長谷川繪雅堂」様でお問い合わせ下さい。価格などはお尋ね下さい。
現在、『平安紋鑑』『紋典』『標準紋鑑』の在庫アリ。
『紋帖による紋の違い』も在庫アリ。

染色工芸材料専門店  「株式会社 長谷川繪雅堂
〒604-8241 京都市中京区三条通西洞院東入
TEL:(075)221-3737(代)
FAX:(075)221-4406
定休日:日曜.祝祭日.第二土曜日
営業時間:AM9:00~PM5:30
E-Mai:a-h-1948@mbox.kyoto-inet.or.jp
URL:http://www.joho-kyoto.or.jp/~kaigadou/

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京都家紋研究会

家紋を探る(ブログ)

森本景一
1950年大阪府生まれ。
染色補正師、(有)染色補正森本代表取締役。日本家紋研究会理事。
家業である染色補正森本を継ぎながら、家紋の研究を続け、長らく顧みられなかった彩色紋を復活させる。
テレビやラジオなどの家紋や着物にまつわる番組への出演も多い。
著書に『大宮華紋-彩色家紋集』(フジアート出版)、『女紋』(染色補正森本)、『家紋を探る』(平凡社)があるほか、雑誌や教育番組のテキストなどにも多数寄稿している。

森本勇矢
染色補正師。日本家紋研究会理事。京都家紋研究会会長。1977年生まれ。
家業である着物の染色補正業(有限会社染色補正森本)を父・森本景一とともに営むかたわら、家紋の研究に取り組む。
現在、「京都家紋研究会」を主宰し、地元・京都において「家紋ガイド(まいまい京都など)」を務めるほか、家紋の講演や講座など、家紋の魅力を伝える活動を積極的に行なっている。
家紋にまつわるテレビ番組への出演や、『月刊 歴史読本』(中経出版)への寄稿も多数。紋のデザインなども手がける。
著書に『日本の家紋大事典』(日本実業出版社)。
ブログ:家紋を探る京都家紋研究会



大宮華紋森本


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